日本軍も、ソ連軍も、国府軍も、ちょっと貸してくれと、持って行っても、戻しに来ることは,滅多になかった。
しかし八路軍はそうではなく、実にきっちりとしていた。
激戦の後、敵、味方の負傷者を収容するのに、学校を臨時の病院にしましたが、ベッドが足りないので、日本人の家に畳を借りに来ました。
住所、住宅番号氏名などを、きちっと書き止め、家人に確認して借りて行きました。
移動するときも、一戸毎に畳の裏の名前住所を確認、しかもきっちり消毒して、1枚につき,いくらと,規定の金額(僅かですが,どこの軍隊もしたことがない)を、払っていったのです。
国府軍も、八路軍も、塹壕堀りの使役を、町内会毎に割り当ててきましたが、国府軍は日本人だけを徴集しましたが、八路軍は「この街を守るのは、この町の住民全体の義務である。同じ町の住民を国籍で差別してはならない」と、日本人も中国人(満州人)も朝鮮人も同じように集められたのです。
私たちの街は、満鉄本線、平斉線(四平とチチハル)、平梅線(四平とハイラル)、など、多方向行きの鉄道が交差する重要な街でしたから、4回も奪回、奪回の繰り返しの末、最後は八路軍の正規名「中国人民解放軍」が勝利を収めたのです。
私は、父が中国側と鉄道業務の引継ぎのため、出張が多かったので、代わりに、八路軍に2回、国府軍に1回徴集されていきました。
八路軍に2回目の徴集された時は、200km以上の移動、転戦で、最後に最前線で,敵側の大部隊に包囲され、「これから危険な便衣活動(ゲリラ活動)に入るので、ここで、現地徴集してきた少年たちの中で、希望するものは解放する。家もなくなったし、両親も亡くなって、帰っても身寄りのないものは、正規な兵士として編入する。解放後には、学校にいきたいものは学校に行かせるし、仕事をしたいものは仕事に就けるように教育する。街に帰りたいものは挙手せよ。」私はもちろん親もいるし、家族もいるし挙手しました。
挙手したものは、12名、隊長は「よし、後で食料、飲料水、銃器、弾薬を渡すから準備しなさい。夜明けと共に出発する。
指揮は「リンムーチンが取る、彼は小さいけど、諸君はきちんと指示を守ること。」みんな、15歳から17歳位の少年たち、日本人は、年上の一人と私だけ、中国人(満州人)7人と朝鮮人3人計12人。
「このあたり10km以内で、発砲するな。敵軍に見つかる可能性があるから、規律を守ること。
野菜汁や、肉汁でこねて、堅く焼いた、携帯食の乾パン、一旦沸騰させた開水を水筒一杯。堅い乾パンは一回に2枚か3枚、水は飲むな。舐める。そして口を良く動かしてかむと水は沸いてくる。生水は絶対飲むな。飲んだら病気になって死ぬと思え。隊列は離れるな。狼や、野犬の群れが待っている。弾薬は無駄に撃つな。」
「狼の群れは、銃を持っている者を、むやみに襲っては来ない。野犬の群れは、襲い掛かってくることがある。飢えている時だ。先頭の奴を1発でし止めろ。それでもかかってきたら次の奴を撃て、3頭し止めたら、あきらめる。食っても良いけど絶対生では食うな、焼いて食え。」
「食わなきゃ食われる、それだけは忘れるな。」
「道を間違えずに順調に行けば、4日目には着く筈だ。」
そして出発の前夜、隊長は「リンムーチン、来把(ライバ)」と呼んだ。
「鈴木君、君ならやれる、無事に帰りつけよ」驚いたことに流暢な日本語、「私は元日本軍人だった。重傷を負って前線で捨てられていた。
解放軍に助けられ何度も手術を受けて、元気になった。
そして延安で軍の学校に行き、いろいろ勉強した。一つだけ覚えておいて欲しい。中国と、日本の戦争はどちらが侵略者で、どちらが国を守る愛国者かね?学校で習ったことは、別にして、考えて見よう。
(つづく)
八路軍は、全然違います。軍律が厳しくて、初めから野放しにしません。①盗まず、②奪わず、③犯さず、紙一枚と言えども、人民の所有するものを、掠め取ったり騙し取ったりしても、厳罰に処す。」と言うのは徹底しています。もちろん、厳しい刑罰を受けます。
激戦の後、敵、味方の負傷者を収容するのに、学校を臨時の病院にしましたが、ベッドが足りないので、日本人の家に畳を借りに来ました。
住所、住宅番号氏名などを、きちっと書き止め、家人に確認して借りて行きました。
移動するときも、一戸毎に畳の裏の名前住所を確認、しかもきっちり消毒して、1枚につき,いくらと,規定の金額(僅かですが,どこの軍隊もしたことがない)を、払っていったのです。
国府軍も、八路軍も、塹壕堀りの使役を、町内会毎に割り当ててきましたが、国府軍は日本人だけを徴集しましたが、八路軍は「この街を守るのは、この町の住民全体の義務である。同じ町の住民を国籍で差別してはならない」と、日本人も中国人(満州人)も朝鮮人も同じように集められたのです。
私たちの街は、満鉄本線、平斉線(四平とチチハル)、平梅線(四平とハイラル)、など、多方向行きの鉄道が交差する重要な街でしたから、4回も奪回、奪回の繰り返しの末、最後は八路軍の正規名「中国人民解放軍」が勝利を収めたのです。
私は、父が中国側と鉄道業務の引継ぎのため、出張が多かったので、代わりに、八路軍に2回、国府軍に1回徴集されていきました。
八路軍に2回目の徴集された時は、200km以上の移動、転戦で、最後に最前線で,敵側の大部隊に包囲され、「これから危険な便衣活動(ゲリラ活動)に入るので、ここで、現地徴集してきた少年たちの中で、希望するものは解放する。家もなくなったし、両親も亡くなって、帰っても身寄りのないものは、正規な兵士として編入する。解放後には、学校にいきたいものは学校に行かせるし、仕事をしたいものは仕事に就けるように教育する。街に帰りたいものは挙手せよ。」私はもちろん親もいるし、家族もいるし挙手しました。
挙手したものは、12名、隊長は「よし、後で食料、飲料水、銃器、弾薬を渡すから準備しなさい。夜明けと共に出発する。
指揮は「リンムーチンが取る、彼は小さいけど、諸君はきちんと指示を守ること。」みんな、15歳から17歳位の少年たち、日本人は、年上の一人と私だけ、中国人(満州人)7人と朝鮮人3人計12人。
「このあたり10km以内で、発砲するな。敵軍に見つかる可能性があるから、規律を守ること。
野菜汁や、肉汁でこねて、堅く焼いた、携帯食の乾パン、一旦沸騰させた開水を水筒一杯。堅い乾パンは一回に2枚か3枚、水は飲むな。舐める。そして口を良く動かしてかむと水は沸いてくる。生水は絶対飲むな。飲んだら病気になって死ぬと思え。隊列は離れるな。狼や、野犬の群れが待っている。弾薬は無駄に撃つな。」
「狼の群れは、銃を持っている者を、むやみに襲っては来ない。野犬の群れは、襲い掛かってくることがある。飢えている時だ。先頭の奴を1発でし止めろ。それでもかかってきたら次の奴を撃て、3頭し止めたら、あきらめる。食っても良いけど絶対生では食うな、焼いて食え。」
「食わなきゃ食われる、それだけは忘れるな。」
「道を間違えずに順調に行けば、4日目には着く筈だ。」
そして出発の前夜、隊長は「リンムーチン、来把(ライバ)」と呼んだ。
「鈴木君、君ならやれる、無事に帰りつけよ」驚いたことに流暢な日本語、「私は元日本軍人だった。重傷を負って前線で捨てられていた。
解放軍に助けられ何度も手術を受けて、元気になった。
そして延安で軍の学校に行き、いろいろ勉強した。一つだけ覚えておいて欲しい。中国と、日本の戦争はどちらが侵略者で、どちらが国を守る愛国者かね?学校で習ったことは、別にして、考えて見よう。
(つづく)
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