2009年6月21日 (日)

「楽友会」に参加

 日本楽友会という組織がある。音楽家ユニオンなどの、組織
と異なり親睦団体である。ジャズバンド系の、オールドマン達
が多い。

 前々から、テナーサックスの藤原陽一郎さんや、昭和プロの
遠山会長さんから「是非入会して下さい」と言われていたけど
、音楽ユニオンの全国本部の役員や、関西地方本部の役員や、
芸団協や、大阪文化団体連合会の役員等をかねていたので「忙
しいから・・」と許してもらっていたが、6年ほど前から、だ
んだん役職を減らしてきたので、「はいらせていただきます」
と入会しました。

 古い古い時代の、ビッグバンドの、バンドマスターや、有名
プレイヤーも、沢山います。今日も懐かしい顔が沢山いました

 NHKの素人のど自慢大会で伴奏のアコーディオンを長年弾
いていた堀部さんや、トランペットの名手で、ニューソニック
ジャズオーケストラのバンマスだった白井克治さんや、テナー
サックスの名手でMBSジャズオーケストラ依頼幾つものバン
ドのリーダーを歴任、音楽ユニオンでも関西の代表委員でもあ
った藤原陽一郎さん、元京都市交響楽団のViolaでユニオンの
本部代表も勤めた三原さん、一昨年まで、メーデーでトランペ
ットソロでインターナショナル・ファンファーレを拭いてくれ
ていた木田さん、むかしは、お互いにスタジオで、やってきた
仲間達。

 私が若手の作曲家として、バリバリ書いていた頃は、既にベ
テランだった人たちが、「あんた何時までも若いな、けど肥っ
たなー、エツ、酒もタバコも49歳でみな止めた、スタジオでタ
バコ吸って叱られたくらいやったのに、変ったなー!、30年も
タイム・スリップする人もあり、楽しかったけど、あっちと話
したり、こっち向いて話をあわせたり・・・ちょっと疲れまし
た。

 「又、来年も元気で会おうな」と「来年果たして何人来れる
かな?」とそれぞれ挨拶を交わしながら、お開きになりました

2009年6月20日 (土)

ムツゴロウラプソディは、満員だった!

 第二回憲法ミュージカルは、若手の弁護士さんたちが中心に
なって、出演者も地元のアマチュア合唱団や、バレー教室など
の皆さんで、作り上げているミュージカルです。

 この中には、私たちの教室で、ヴォイストレーニングや、作
曲を勉強している人も、出演しているので、激励の意味で初日
に鑑賞して来ました。
 
 会場は大阪厚市生年金会館.芸術ホールで、私にとっては、
1986年にアメリカからピートシーガーを迎えて、紙ふうせん、高石
友也、すずききよしでピーツサンズを組織し、共演した思い出
のホールです。
 
 開場60分前までに、既に長い行列が出来ていました。

 西九州の福岡県、佐賀県、熊本県、長崎県の4県に囲まれた
有明海に棲む「ムツゴロウ」が主人公、と言っても他いろんな
種類の海の生き物たちの宝庫で有名な干潟が舞台と言う設定で
す。

 九州4県の県民だけでなく、良識ある日本国民の多くが反対
しているにも拘らず、「ゼネコンの、ゼネコンによるゼネコン
のための政治」をモットーとする日本国政府は、有明海を死の
海にしてしまった、何の意味も必要性も無いにも拘らず、7km
に及ぶ潮止め堤防の内側に棲んでいた、多種、多様、大量の動
植物を死滅させる、という暴挙を行ったのです。

 舞台では、118匹のムツゴロウや、ブーワン〈赤ニシ〉や
、アサリや、シオマネキや、渡り鳥が、飛んだり跳ねたり、生
き生きと躍動感あふれる序章から、ギロチンの水門クロス・・

 ムツゴロウと言えば、夜の博多、福岡で遊んだ人なら、天神
、春吉、中州の屋台から漂ってくるムツゴロウの蒲焼と、長浜
のラーメンは忘れられない匂いと味だが・・・・・

 コミックファンなら「釣りきち三平の、がたスキー」で、記
憶に残っていることだと思いますが、独特の釣り法で。それも
みんな昔の夢の話になってしまいましたが・・・・・。

 今、世界中が「自然保護、地球の未来を守ろう」と大きなう
ねりとなっているのに、日本政府はそれに逆行する「自然破壊
、環境汚染」を続けている事実は、世界に対して恥でもありま
す。
 
 それを、ムツゴロウたち海の生き物が、人間世界に訴えてい
ると言う作品でした。

2009年6月15日 (月)

  日本人のブルース 09ヴァージョン オマケ

今年は、麻生総理のネタで、日本人のブルースの09ヴァージ
ョンが幾つか出来たけど、追加が出来ました。「鳩山総務大臣
の更迭事件」ですが、これは、日本郵政の西川善文社長の進退
問題について「かんぽの宿」大安売り事件などで、重大な責任
のある西川社長の留任を認可しない」と表明してきた鳩山総務
大臣に対して、「郵政民営化」を進めてきた小泉、竹中派や、
財界が反発し、麻生総理が「西川社長留任」をきめた為、鳩山
大臣は辞任せざるを得ないように追い込まれ、事実上更迭され
ました。

 「そこで、一節吟じます」  「お前、天津か?」
  
   日本人のブルース 09ヴァージョン オマケ

♪「汚れた尻尾は切らないで
  逆らう大臣の首を切る 
 『アイ・アム・ソーリー』とも言わないで
  トカゲもあきれて首ひねる

でもね、何も「郵政民営化」だけじゃないですよ。
すべての国営企業は、施設や、土地建物、などの不動産を持っ
ていました。
 単なる財産じゃない。リアル・エステイト、つまり最も現実
的なカチのある財産です。国民のすべての財産ですから、勝手
に売買することは出来ません。

 国鉄をJR株式会社にして、株式会社の不動産なら売買して
も罪にならない。だから儲かる部分は、転売転売でぼろ儲け、
電電公社も、専売公社も、国営の企業は膨大な不動産を所有し
てきました。
 国営だから税の面でも、一般国民の財産に掛るものとは、は
なしになりません。

 郵政は保険事業にしても、預貯金、金融の面にしても、銀行
業界から見れば咽喉から手が出るほど欲しかったわけです。

 そのため、小泉純一郎という,一見反骨精神の旺盛な政治家
風な人形を使った大喜劇が「自民党をぶち壊しても、郵政の民
営化を進める」だったのです。はきはきと、大きな声で自信満
々で、ぶちあげると、国民は催眠術に掛ったように、80%もの
国民の支持率を得たのですから、騙される国民がアホなのか、
そんな小泉人形の後ろでほくそ笑んでいるのは越後屋じゃない、
三井住友銀行、その配下の高利貸しオリックスか、賛成してお
こぼれに預かるアホ政治家たち・・・
  
 これに騙される日本国民は世界に冠たる御人好しか、オメデ
タ人か?

2009年5月21日 (木)

事の起こりはメキシコの豚?

 或る日、メキシコの一頭の仔豚がこう考えた。                               「私は何のために生まれてきたのだろう?」

 すると、何度も脱走しては捕まり、柵の中に戻され、屠場行きのトラックが来ると、サッと忍者のように姿を隠し、逃れて生き残ってきた長老豚がこう言った「俺たちはな、人間様に食われるために生まれてきたんだ、だから沢山餌を食べて、大きく肥って、美味しい豚肉になるために生きているのさ。」

 仔豚は、「じゃ、長老さんは、どうして生き残っているの?」

すると長老豚は「俺はな、食うのは大好きだが食われるのは好かんからさ。」

 「私だって食べられるのは嫌いよ。だけど大きくなるとみんな殺されて食べられる・・・・」それ以来、仔豚は大きくならなければ肥らない。肥れば殺される」と、絶食が始まりました。

 鳥たちが豚の餌を盗りに来ましたが、豚が怒らないので、遠慮なしに食べました。仔豚は「いいのよ、私の分を上げるから、」

 鳥は「いいのかい?」「だって沢山食べて肥ると、食べられるんだもん」「じゃ、遠慮なくご馳走になるよ。わーい」と、沢山集まって、豚の餌を食べてくれたのは良いのですが、仔豚もそれを見て、ちょっと食べたくなり、鳥に混じって食べたから、大変・・!!!  その鳥たちの中にインフルエンザに罹った鳥が混じっていたのです。

 仔豚もインフルエンザに罹り、大人豚にも大流行、遂に豚の飼育係が、その家族がと、広がり、世界中へと広がり始めたのです。

 やがて、豚インフルエンザは、国境を越えアメリカへ、広がって行きました。

 交通が発達している21世紀、あっという間に世界中に広がりました。

 成田空港では水際作戦で食い止めようとしましたが、網の目を潜り抜けた新型のインフルエンザウイールスはー、あっという間に、神戸、大阪など関西の各都市に広がり、あらゆる薬局薬店から、駅の売店からマスクが姿を消してしまいました。

 兵庫県立高校同士のスポーツ交流がきっかけで、高等学校ら大学から中学校、小学校へと広がり、今週1週間は大阪府知事命令で、府内の大学、高校、中学校、小学校も、臨時休学、臨時休校となりました。

 初めは、危機感の無い高校生や大学生の中には、カラオケ・ボックスなどで、遊ぶ子もいましたが、すぐに問題になり店の方で臨時休校中の学生生徒の立ち入りお断りの張り紙が張られる始末・・・・・。

 小・中学生たちには先生が、っそれぞれの自宅まで宿題を、持って、届けに行くところも出て来て、先生は大変なめに逢っているようです。

 弱毒性と言うことで、日本では、死者は未だ出ていませんが、どういう突然変異が起きるか解らないので、油断せずに、警戒しましょう。

 「電車、繁華街、地下街など、人と多く接する場所から帰ったら、手を良く洗って消毒し、嗽を欠かさないことが大切のようです。

2009年5月11日 (月)

海を見に行ったのですが....

 五月の連休は、いかがでしたか?

 私は、3日から6日まで、のんびりすごしました。

☆ 3日は、午前中に接骨院にリハビリ治療に行ったが、凄く込んでいた。連休関係ない高齢者よりも、スポーツ負傷のが多い。ユニフォームを着た少年が駆け込んできたりで、私が終わったのは、午後1時過ぎだった。

☆ 4日は、衣替えの準備を始めた。セーターを、ウールと、合成繊維と分けて、ウールはビニール袋に密封して、トランクへ、合繊は別の容器にと言うように半日掛りで、「畳むのが下手ね」と老妻に言われながら分けた。

☆ 5日は、西武庫公園の緑の多いところで、ゆっくりと散歩したら、親子連れで一杯だった。メディアが伝えるように渋滞するドライブするより「此処ならお金はかからないし、健康的だし、親子安全に遊べるし、最高だな」と思った。

☆ 6日は、ギターを弾きたくなって、ギブソンの1965年製ES-125ピックギターとライオン丸と愛称つけているヤイリの特注品のギターと、マーシャルのアンプを出して、練習していたら、何故か無性に海が見たくなったので、M. T.Bを引張り出して山陽新幹線の側道を武庫川堤防へ、国道171線の甲武橋の所から、河川敷に降りて南に向かって一生懸命ペダルを踏んだ。

 少年野球の試合を横目に、阪急神戸線の武庫川鉄橋の 下をくぐり、南甲武橋をくぐり、別のチームの少年野球の試合を横目に、山手幹線新武庫川橋をくぐり、この橋をくぐるたびに幾つものグループが、バーベキューをしている が、匂いだけをご馳走になってひたすら走った。

 JR東海道線の鉄橋の下をくぐり、更に南下して、川面を見ると所々に釣人はいるが、余り連れていないようだ。

 阪神線の鉄橋下は、将棋や囲碁の路上名(迷)人戦が行われているが走り抜ける、43号線をくぐり、暫らく走ると、砂防堤の向こう側に魚が跳ねている。

 ゴルフ場を左に、もう直ぐそこが、海釣り公園、やっと海まで来たぞー!

 しかし 雨少し酷くなって来た。

 

 川面を見ると、ハネやボラが水面から跳ね上がっている。

 そう言えばA新聞紙の釣り欄に「武庫川河口で早朝50センチのハネを釣った」と昨日か一昨日載っていたな」と思い出した。

 水を一口飲んで、今度は堤防の上を北上した。アカシアの白い花が、葡萄のように鈴なりに咲いているのが、風にほろほろと降り続けていた。

 

♪「ほろほろこぼれる 白い花を 受けて泣いていた・・」と、灰田勝彦の「森の小道」を口ずさみながら、一生懸命 ペダルを踏み続けて、家に到着したら、往復3時間半以上 経っていた。ヴァージンオイルを大匙2杯飲んでいると「コーヒー入れましたよ」コーヒーを飲んでほっとしたら、何時の間にか座ったまま、居眠りしていて起こされた。 今日は疲れてしまった。連休は終わった。

  

翌る朝、驚いたことに右足の踵がはれ上がっている。昔の捻挫もあるし、何時もはシップとテーピングで済ましているのだが・・・・・・整形外科に行って「足首が痛いのですが」と言うと、Dr「如何しました?」と聞くので「はい、実は昨日、ギターの練習をしていたら、突然海が見たくなって自転車で武庫川の河口まで海を見に行ったんですけど、」

 「どのくらい時間がかかりましたか?」「はい、3時間半から、4時間近くくらいでした。」即座にそれは乗りすぎです、途中休憩は?」「しませんでした。」「帰りに公衆トイレに寄ったくらいです。」「その年で、休憩もなしに、3時間も4時間も自転車を飛ばすなんて、とんでもない。あんたが、朝晩出勤の行き帰りに自転車に乗ってるだけでも、心配だなと思ってみているのに、今後そんな無理をしてはいけません。」と、叱られてしまいました。

 しっかり伸縮しない固定テープで、テーピングしてその上からシップしてくれて、「御風呂は暫く入ってはいけません。バスタオルを巻いて、その上からビニール袋をかぶせて、ラップしてから、シャワーを浴びたり水浴びをしてください。」と言われてしまった。

 『反省!、これからは休憩なしでは行きません。のんびり魚釣りでもしながらの、移動にします。』

2009年5月 8日 (金)

晴れ空の第80回メーデー万歳

 今年のメーデーは、記念すべき第80回、好天気に恵まれたメーデーでした。

 例年どおり、午前7時半扇町公園集合と言うことで現場につくと、泊り込みで警備を担当した若い組合員たちが朝食中で、「お早う御座います」と挨拶を交わし、準備に参加。     

 大阪のメーデーは、総評と総同盟とが、分裂メーデーになって以来、すべての労働者が統一してメーデーを挙行できる期間はあったけど、連合と労連とに別れて分裂メーデーの時期が続いています。

 「日米安保条約」を廃止するか、容認するか、平和憲法を擁護するか、改悪するか、など日本国民にとって、最も重要な問題で対立しているのだから仕方がありません。

 労連のメーデーが扇町公園で開催されるようになってから、開幕演奏と送り出しの演奏は、大阪のうたごえ協議会有志の合唱と私たちのバンドで担当しています。

 ユニオンバンド「フィッシャーマンズCO-OP」のメンバーも揃って、楽器セットの組み立てが終わる頃、「大阪のうたごえ協議会」もボツボツ集まり出しました。

 「音合わせ」の定刻に間に合わない合唱団員もいたけど、時間が限られているので、スタート。合唱団はメーデー歌集の曲は、既に練習を何回かしている筈なので、「時間が無いから一通りのリハーサルしか出来ないけど、頑張って下さい」と断ってリハーサルをしました。

 好天気過ぎて、指揮棒を振る私は汗ビッショリかいてステージを下りました。実行委員会本部横のテントで休憩していると、「ネットうたごえ」の友人関係の「きのつく植田さんが「すずききよしさん、ご苦労様です。差し入れです」と栄養ドリンクと、「あきら(佐々木)くんを思い出して」と、信州カリン・ノドアメをプレゼントしてくれました。

 バンドのメンバーにも栄養ドリンクを分けて上げたら、みんな汗を書いて咽喉が渇いているので大喜びでした。植田さん有難う御座いました。

 プロローグで、 定番のメーデー歌を、6曲で終了、続いて開会宣言。

 トランペット・ソロの「インターナショナル・ファンファーレ」

 セレモニーは晴天の下、順調に進行しました。不況の犠牲を労働者や中小企業者、など庶民に強いながら、海外派兵や憲法改悪をたくらむ勢力の糾弾、国民の生活と平和を守る各界の決意表明のあと、「団結頑張ろうを」を唱和して、セレモニーを終了、デモ行進に出発」

 私たちは再びステージに上がり、デモ隊が公園出口から出発するまで見送り演奏をしました。

 

2009年4月13日 (月)

相変わらず「てのうた」は人気です。

 

 日曜日は桜大満開で、西武庫公園も大賑わいのようでした。                        自転車で土手の上を走り抜けてみただけですが・・・・・・                            (公園の中を通ると、たこ焼きを食べたくなるので、ハ、ハ、ハ、)                    

 今朝、通勤コースのお初天神のさくらを見ると、左近の桜も、                         開運稲荷の桜も、葉桜半分から七分となって来ましたが、                   その代わり、八重桜が妖艶な昔の美女が島田髷を傾けた                       ような艶やかさで「如何?あたしって美しいでしょう?」と                                    微笑んでいました。

 事務所につくと、「九州の方から『てのうた』のテープの送金                 がありましたよ。」とのこと、この方は以前に『輝く未来』のCD                   を買い上げて下さった『てのうた』の大ファンの方で、「子育て                    支援サークルでみんなで歌いたいけど、女性の声で録音した                 CDが欲しい」と言ってこられたのですが、女声だけのはありま                                        せんが、 実は1995年の、阪神淡路大震災の直後に、地震を                 テーマにした「悲しみの向こうの明日に向かって」と言う歌を作リ、                  その後ろに、明るい『てのうた』を収録して、緊急発売したもの                            すずき きよし と、元女声トリオの「スィートピー」の宮坂昌子さ                  んとのデュエットのテープなら有ります」とお答えしたところ、                    「是非、送って欲しい」とのことで、テープを送ったところ、今朝                その方から丁寧な御礼状とカンパが届いたのです。                             「とてもステキな歌声のテープ有難う御座いました。・・・・後略」

 私としましては、『てのうた』がいろいろな場所で沢山の人を                                励ましていることがとても嬉しく思えました。

2009年4月 7日 (火)

 戸田恵子さんの「ザ・ヒットパレード」

 戦後日本の音楽界をリードし数々のスターたちとヒット曲を生み出した「渡辺プロダクション」の創始者・渡邊晋さんと美佐さんの愛と感動の物語をミュージカルにした「ザ・ヒットパレード」を観劇しました。私の大好きな戸田恵子さんが主演で、渡邊美佐さん役で、相手の晋さんをお笑い芸人の原田泰造さんが演じました。

 恵子さんのファンだから言う訳じゃないけど、1月の三谷さんのお芝居で大物俳優の中井貴一さんと競演して恵子さんも「既に大女優の貫禄充分だな」と感じていただけに、「恵子さんは相手不足だっただろうな?」と感じました。

 恵子さんの演技力も歌唱力も抜群なのに、原田泰造は演技もまだまだだし、二人の愛のデュエットのハーモニーも上手に合わせられない未熟さ。恵子さんが一寸気の毒でしたが、見事に渡邊美佐さん役をこなして、感動させてくれました。

 渡邊美佐さんは、大分前にジャスラック(日本音楽著作権協会)の会合などで数回お会いしているし、お話も交わしましたが、苦労人であるだけに中々気さくな女性でした。戦後日本の大衆音楽文化の中心に渡邊プロを築き上げた功績は、むしろ美佐夫人の力量に依るところが大きいと思いますが、「晋さんを愛していたのだなぁー」と、感じさせられました。

 「ザ・ピーナッツ」「クレージーキャッツ」「伊藤ゆかり「中尾ミエ」「園まり」「梓みちよ」「ブルーコメッツ」「ワイルドワンズ」「タイガース」「森進一」「布施明」「加山雄三」「ドリフターズ」「「小柳ルミ子」「アン・ルイス」「アグネス・チャン」「キャンディーズ」etc........ キラ星のように輝くスターたち、そして生み出されたヒット曲の数々、「まさに渡邊プロダクションが戦後の昭和時代の音楽界をリードした」と言われるのもむべなるかな。でしたが、メドレーを巧みに編曲した宮川彬良さんの音楽は見事でした。

 恵子さんと、瀬戸カトリーヌさん、北村岳子さんの歌はそれぞれ良かったけど、男性陣は一寸物足らなかったのは、私だけではないようでした。

 「戸田恵子さん御疲れ様。素敵なひと時を有難う。健康に気をつけてくださいね。」

+    2009年4月4日 大阪 シアターBRAVA!

2009年3月27日 (金)

左近の桜もとうとう咲きました

 この三日間は,大阪も冬に舞い戻り。震えていましたが,お初天神社の左近の桜は,やっと咲きました。昨日宮司さん曰く「去年枯れたので、植え替えたので一寸おくれました。」

「もうこれで根付きましたね。」と挨拶して,御賽銭を上げて、二礼、二拍手、一礼をして、今日も頑張ります。

 昨日は、「大阪北区革新懇の春の集い」に出演しました。時間の都合で「トップバッター」に変更させてもらいました。

 昨年の活動報告や、新年度の役員改選のあと、第2部のトップに乾杯のあと、出演しました。持ち時間は15分間程度と言うことなので、「日本人のブルース」、「庭の小梅」「ケ・サラ」の3曲だけで、「お先に帰らせていただきます」と、戻ってくるとお客さんの握手攻めで、中々席に戻れませんでした。

2009年3月19日 (木)

♪春が来た,春が来た・・・・

 

 お初天神の梅も散って,右近の橘の実も直径2cmくらいになり、「わしが日本の柑橘類の元祖ナノだ!」とバカボンのパパのような声で威張っていますが、左近の桜のつぼみは未だ一寸固そうです。

 でも自転車で,自宅から駅までの途中には,一寸、おませな桜が所々で咲いています。やがて,阪神間では有名な桜の名所「兵庫県立西武庫交通公園」のソメイ吉野の桜も満開になるでしょう。以前は観光バスで押しかけて来て,カラオケでへたくそな歌をガンガン喚くは、バーベキューの臭いで辟易したものですが、公園課から禁止されて,バーベキューはなくなりましたが、カラオケパーティーは、結構やっているようです。

 アコースティック・ギターで、コーラスをやっているのを見ると、「文化的だなー」と思いますが、酔っ払っただみ声で、カラオケで怒鳴っているのを見ると,「野蛮だなー」と思うのはは私だけではなかろう」と思うのでありますが・・・・・・・・???

 お花見時には,必ず香具師(てきや)さんの「たこ焼き」や,「りんごアメ」や,「泥鰌すくい」じゃなく「金魚すくい」や「お好み焼き」などの屋台が並びますが、ここの「たこ焼き」は、屋台とは思えないほど美味しいのです。

 「今年は、お花見ライブを、やってみよう」と毎年思うのですが,一寸照れくさいと思うのは年の所為でしょうか?

 ところで,昨日の母の納骨は,一寸くたびれました。洛東霊山の古刹、正法寺の墓地には坂本竜馬や,維新の志士たちの墓が有りますが、その丁度上にあたりますが、100段の石の階段を上がって参りました。

 何しろ,空海上人と並ぶ,最澄上人の開基,その後法然上人が浄土宗を流布する道場として修行し,その弟子一遍上人も,ここで修行して時宗を開いた、と言う古いお寺です。清水の観音さまの北側にあり、山門から清水様の五重塔が見えます。 

 NHKの連続TV小説の京都ものなどで,オープニングに高い山の上から,京都市内を,俯瞰して,ゆっくりパンする場面がよく出ますが、そのカメラを据えるのは,このお寺の庫裏の縁側の前です。眼の下に東寺の五重塔から西山あたりまで,天気の良い日には大阪の高層ビルも見えると言う景色の良いところです。

 良い気候で天気にも恵まれ、一寸早めの彼岸法要も済ませ、帰りは二年坂をくだり,護国神社前からタクシーで帰りました。

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